京阪の「シティ・コミューター」たち (平成20年12月20日ほか撮影) (平成21年8月21日掲載)


「シティ・コミューター」と称される、京阪の一般車両について、紹介します。 また、それぞれの車両を紹介する上で、重要なキーワードとなる「昇圧」についても、簡単に説明します。
(撮影日: 無印・・・平成20年12月20日, ☆・・・平成21年1月3日, ※・・・その他 )


1000系
滝井駅に停車中の、1000系シティ・コミューター。

滝井駅に停車中の、1000系旧塗色車。

淀屋橋駅に到着した、1000系

二連窓と、乗降扉上半分のほとんどを占める窓が、他系列との違いです。

(※ 平成21年8月16日撮影)
 
 1000系は、昭和52年(1977年)に登場しました。昇圧前に登場した「京阪タイプ」な感じでですが、前述のように、側面窓配置が他系列と違い、2連窓が2つ並ぶ形になっています。また、乗降扉の窓が他系列と比べて、異様に大きくなっています。そして、2000番台系列のような、裾絞りがありません。
 この特徴ある車体は、昭和43年(1968年)に登場した700系のものです。その700系は、車幅の狭かった旧型車両(*1)の足回りを使用し、車体を新造して登場しました。その700系は、制御装置が旧型ゆえ、昇圧対応が困難なため、今度は、車体をそのままに、足回りを新造して、1000系となりました。



2200系 
八幡市駅に停車中の、2200系シティ・コミューター。 八幡市に停車中の、2200系旧塗色車。
同じ2200系ながら、標識灯や車掌室側の窓枠が違います。(右は、前面扉改造時の初期改造車)
こちらも2200系旧塗色車ですが、前面の車両番号が黒色になっていました。(光の加減ではなく、本当に黒色です) 2200系の前面改造前の姿。

前面扉は、連結を考慮して内開きで、行先表示器は無く、車両番号が真ん中にあります。また、鳩マーク取り付け用の金具が付いています。車掌室側の窓は、行先看板の取り替えを容易にするため、開閉式になっていました。
(※昭和61年頃?)
2400系 
土居〜滝井を走る、2400系シティ・コミューター。

分散式クーラーのため、屋根上には8機の小型クーラーが載っています。
滝井駅に停車中の、2400系旧塗色車。

前面扉は、大型ガラスを使用しています。
2400系の前面改造前の姿。

2200系と似ていますが、標識灯が違います。

(※昭和61年頃?)
 
2600系 
滝井駅停車中の、2600系(0番台)シティ・コミューター。
2000系以来の、古い形態を残しながら、新塗色化されています。
八幡市駅を出発する、2600系(0番台)の旧塗色車。
貫通幌、開閉可能な車掌室前面窓など、2000系を今に伝える姿です。
八幡市駅に進入する、2600系(30番台)シティ・コミューター。

ヘッドライト,標識灯などが、0番台との違いです。
土居〜滝井を走る、2600系(30番台)旧塗色車。

この系列の30番台車は、当初より2600系として新造されたものです。
 2000番台系列は、昇圧前の京阪を代表する系列です。その元祖は、昭和34年(1959年)に本格的通勤電車として登場(*2)した2000系で、おでこ左右に分けられたヘッドライト(*3)と、丸みを帯びた車体が特徴です。また、側面は扉間に3枚の窓があります。 性能的には、全電動車で高加速高減速を重視した性能で、主に普通や区間急行に使用されていたようです(*4)(*5)。そして、一時は、2000系が京阪で最大勢力となりましたが、制御装置の昇圧対応が困難だったため、使用できる部品は2600系に流用されて、昭和57年(1982年)までに、全て廃車となりました。

 2200系は、昭和39年(1964年)に登場しました。ちょっと偏り気味の性能であった2000系に対し、この2200系は急行運用でも問題なく使える性能となり、主に急行や準急で使用されていたようです。そのほか、外見上の違いとして、前面下部に、スカートが付けられました。 また、登場当初は非冷房でしたが、1500V昇圧対応を行う際、同時に、クーラーが搭載されました。 それから、昇圧後の改造として、貫通扉の改造が行われ、同時に、(初期に改造された物を除いて)標識灯・尾灯の位置が移動されました。

 2400系は、昭和44年(1969年)に登場しました。基本的には、2200系に分散式クーラーを搭載しただけですが、細かな違いとして、標識灯・尾灯の変更、ヘッドライトが白熱灯からシールドビームに変更(*6)、そして、将来の1500V昇圧を前提に複電圧仕様の制御装置、等があります。 当初は、後述の2600系30番台に似た前面でしたが、昇圧後に前面改造が施され、今のような姿になりました。

 2600系は、昭和53年(1978年)に登場しました。基本的に、2000系の車体と台車を流用し(*7)、前面下部のスカートの取り付け、冷房機の搭載、そして最大の目的である、複電圧仕様の制御装置を搭載しています。また、性能も2200系と同等になりました。 その後車両不足分の補充のため、新造車として30番台が、昭和56年(1981年)に登場しました。性能はどちらも同じですが、写真のように、前面形態が若干違います。



5000系 
京橋駅に停車中の、5000系シティ・コミューター

八幡市駅を出発する、5000系旧塗色車
八幡市駅を出発する、5000系ゾロ目番号。 側面は扉が5つ。
なお、2番目と4番目の扉は、ラッシュ用ドアで、通常は使用しません。
5000系の古い姿。
車両番号が、前面扉にあります。
なお、これより前に製造された5000系は、前面の行先表示器は、設置されていなかったそうです(後に設置)
(※昭和61年頃?)
ラッシュ用ドアを使用しない場合、扉上部天井付近にたたんで収納されている座席を下ろし、ロングシートとして使用します。このような機能が付いている車両は、日本で唯一です。
 5000系は昭和45年(1970年)に登場しました。 特徴は、なんと言っても、5扉をを備えていること。 車体形状は、その当時の京阪標準であった、2000系列とは一線を画し、裾絞りのない車体となっています。その理由として、5扉搭載による重量増に対し、アルミ合金材を車体に使用したため、単純な形状にする必要があったためです。 同様の理由で、前面も平面(切妻形)となりましたが、若干のひさしを付けることで、それを感じさせない前面となっています。

 5扉車が登場した背景には、 当時の京阪電鉄は、非常に混雑が激しく、特に普通列車の乗降時間の増大が、ダイヤ遅延の原因となっていました。その対策として、複々線区間の延長(*8)による普通列車と速達列車の運転分離区間の拡大が計画されていました。 また、昇圧による、全体的なスピードアップと8両編成化による混雑緩和も計画されていました。しかし、どちらもすぐ実現できるモノではなく、緊急の対策が必要になり、その乗降時間の短縮を目的として、「乗降扉を増やす」ということとなりました。 なお、現在に於いても、ラッシュ時の7両編成に限定される列車(*9)で、威力を発揮しています。



6000系,7000系  
土居〜滝井を走る、6000系シティ・コミューター

土居〜滝井を走る、6000系旧塗色車。

正月ダイヤ・・・ということで、
中之島行き急行が運転されていました。

八幡市駅に停車中の、7000系旧塗色車(左)と、2600系。
7000系は、6000系の形態を踏襲しつつ、若干の変更がなされました。
6000系の古い写真

「急行」表示の色が、微妙に違います。
(※昭和61年頃?)
臨時特急に就いた6000系

「特急」表示の色が、今とは違います。
(※昭和61年頃?)
 6000系は、昭和58年(1983年)に登場しました。登場の目的は、昇圧に伴う旧型車両の淘汰(*10)のためでした。
昇圧という大プロジェクトに関連する新車であるため、「次世代の車両」として、従来の京阪車両とは全く違うデザインが採用され、「もはや、車体色だけが京阪電車であることをかろうじて物語っている」とさえ言われました。 この前面2枚窓というデザインそのものは、鉄道全体から言えば、斬新とは言い切れませんが、“左右対称な前面2枚窓でありながら、前面扉を備える”というスタイルは、画期的と言えます。また、側面は窓を大きくしたことから、扉間2枚窓となりました。
 ただし、登場そのものは、昇圧の半年以上前でした。そして一部の列車は、600Vで運用に入る必要があったため(*11)、当該車両について、1両あたり4個搭載のモーターのうち2個のみを結線して(*12)、電動車のみの4両編成で、支線で使用されました(*13)。 そして、本来の結線に戻すだけで1500V化が完了し、付随車込みの7両編成で本線デビューを果たしました。
 なお、制御方式は、2600系と同じ「界磁位相制御」が採用されましたが、最終編成は、京都側3両が「VVVFインバータ制御」の長期試験車となりました。

 7000系は、平成元年(1989年)に登場しました。形態としては、6000系と似ていますが、運転室空間拡大のため、前面窓の傾斜が無くなったのが、大きな特徴です(他に細かな違いはある)。 また、制御方式は「VVVFインバータ制御」を正式に採用し、足回りも「次世代の車両」となりました。
 その後、制御方式の統一のため、前述の6000系「VVVFインバータ」制御車両が7000系に編入されました。6000系として製造されているため、7000系でありながら、6000系の形態をしています。また、その編入による欠損を埋めるべく、新造された6000系は7000系の形態をしています(制御方式は「界磁位相制御」)。 
 7000系は、その加速性能の良さ(*14)から、5000系が検査入場した際の代走に、優先して使用されています(*15)。3扉であるため、乗降時間の増大は避けられませんが、駅間所要時間を短縮することで、それをカバーしています。 



7200系  
土居〜滝井を走る、7200系シティ・コミューター。
正月ダイヤで、特急増発のため、この日は7200系が、8000系の助っ人として走っていました。
土居〜滝井を走る、7200系旧塗色車。
こちらは、急行です。
「機関車トーマス」ラッピングの7200系。
左は、天満橋駅付近・・・OMMビルから出てきたところ。
右は、八幡市駅に進入するところ。
 7200系は、平成7年(1995年)に登場しました。 性能は基本的に7000系と変わりませんが、正面デザインは、丸みを持った優しい感じになりました。また、内装は、カラーリングが一新されました。
 8両編成のものは6000系と、7両編成のものは7000系と共通運用が組まれています。また、8両編成のものは、中間車両を抜いて、5両編成で運用されることもあります。



9000系  
天満橋駅付近、OMMビルに侵入する、9000系旧塗色車。
緑の濃淡の間の水色の帯が特徴です。
車内は固定クロスシートで、8000系とともに、特急で運用されることが多かったです。
(写真は準急)
守口市駅に停車中の、9000系。
淀屋橋駅で停車中の9000系シティー・コミューター。
新塗色化とともに、車内はロングシートに改められました。
(※平成21年8月16日撮影)
 
 9000系は、平成9年(1997年)に登場しました。 性能および車体は、7200系と同等ですが、ラッシュ時の特急(*16)に使用することを考慮し、3扉のままで座席は固定クロスシートとなりました(車端部はロングシート)。ただ、この固定クロスシートの導入で、乗降扉の位置や窓の大きさが、従来車と若干違っています。 そのほか、昼間時の特急運用に就いたときのことを考慮して、車両中央の乗降扉を締め切って、2扉車として運用することも可能でした。(*17)(*18
 このように、特別な内装、特急運用なども考慮して、京阪の一般色に水色の帯を入れたカラーリングとなっていました。
 しかし、ラッシュ時の混雑緩和等、一部車両にロングシート化が行われ、徐々に一般車との違いが無くなってゆきました。さらに、中之島線開業時に3000系「コンフォート・サルーン」が登場したこともあって、今後は、オールロングシート化の上、一般車(シティー・コミューター)にグループとなることが決定しました。



10000系  
枚方市駅に進入する、10000系列車。
青緑色の塗色が特徴です。

交野線で、ワンマン運用されています。
(※平成21年8月16日撮影)
交野線内折り返しのため、行先表示は、両終点が記載されています。
 10000系は、平成14年(2002年)に登場しました。登場の目的は、支線で使用されていた1900系や2600系(4,5両編成車)の置き換えです(*19)。そのため、全てが4両編成で運用されています。また、当初より、ワンマン運転機器を搭載しています。
 前面形態は、7200系と同様ですが、車体全体の色を青緑色(ターコイズグリーン)としていることが、大きな違いです。また、バリアフリー化のため床面を少し下げた関係で、車体形状も微妙に違うそうです。ただし、車体塗色については、「シティ・コミューター」塗色に変更されることが決定してます。
 登場当初は、宇治線でも使用されましたが、交野線でのワンマン運転開始により、現在は交野線でのみ使用されています。




*1 : その種車の中に、先代1000系(1000形)も含まれる。なお、さらに時代を遡ると、もう1つ1000形(先代との関連性は無し)が存在し、現在の1000系は3代目となる。
*2 : それまでは、元特急車を格下げした車両が、通勤車となっていた。
*3 : それまでの、京阪の車両は、おでこ中央にヘッドライトが付いていた。
*4 : 特に当時の区間急行の運用に於いて、特急から逃げ切る性能を発揮していたそうである。ただし、最高速度は抑えめ。 また、その後のダイヤ改正で、区間急行が途中で、特急通過待ちを行うようになり、他系列での運用も問題なくなった。
*5 : 後に、付随車が連結され、(加速が悪くなったため)急行運用に就いたものもあったようである。(その当時の京阪なら、最高速度は問題にならなかった?)
*6 : それまでの、ヘッドライトに白熱灯を使用していた系列も、シールドビームに交換。ただし、見た目は大きなライトボックスのままである。
*7 : ただし、台車はそのままではなく、改修されている。 また、その他細かな部品も流用されているようである。
*8 : 当時の複々線区間は天満橋駅〜守口市駅。その後、延長されて、萱島まで完成したのは昭和57年(1982年)のこと。
*9 : 東福寺駅は駅の両側に踏切があり、8両対応ができない。東福寺駅に限らず、中書島駅〜七条駅で急行が停車しない駅と、淀屋橋駅2番ホームは、8両対応できていない。そのため、それらの駅に停車する準急や普通列車、そしてそれらの折り返し列車は、7両に限定される。
*10 : その当時、また残っていた旧型車両(吊り掛け駆動車)については、昇圧対応がされなかった。旧型車両だから複電圧車にできない訳ではないが、車齢が高いため、わざわざ昇圧対応してまで使用し続けるメリットが無かったから、と考えられる。
*11 : 乗務員の習熟運転のため。そして、昇圧当日から稼働する必要編成を留置するスペースが足りなかったため。なお、6000系の登場は3月で、昇圧は後述の通り12月であった。
*12 : 実は、特別な配線をしなくても、600Vでの自走は可能であった。ただし、高速性能が大きく劣ってしまうため、営業運転はできなかった。(昇圧まで待機していた車両について、車庫搬入ための回送運転には使用された)
*13 : 結線されていないモーターも、機械的には車輪とつながっており、走行抵抗となるため、予想以上に加速が悪かったという。ただ、旧型車両での運行ダイヤままであったため、何とか運用できた。
*14 : 鉄道ピクトリアル2009年8月臨時増刊号に「加速性能が良いため・・・」の記述がある。数値等の裏付けは取れていないのだが、VVVFインバータ制御の特性か、大きなモーター出力の賜物と思われる。
*15 : 同一性能で同じ7両編成である7200系7203編成も、同様に使用される。
*16 : 登場当時、朝ラッシュ時の中書島駅、枚方市駅停車特急は、9000系限定運用であった。(当時の、昼間時の特急は、京橋駅〜七条駅が無停車であった。)
*17 : 余談ではあるが、5000系のような、座席が増えるようなカラクリは付いていない。
*18 : 2扉運用は、登場してしばらくの間のみ、行われただけのようである。
*19 : 1900系は、初登場よりほぼ40年経っている。また、2600系の場合、車体などは初登場より40年以上経っている。


京阪電気鉄道京阪線の昇圧について

 京阪電気鉄道京阪線(本線,交野線,宇治線(†1))は、昭和58年(1983年)12月に、架線電圧が600Vから1500Vに昇圧されました。大手私鉄の本線クラスでは、最も遅れての昇圧でした。(支線クラスでは、近鉄に750V,東急に600V区間がまだ存在する)
 600Vでの運行は、編成の最大長が7両編成に限定される(最大電流量などの問題)など、運行にも支障を来していました。それでも、昇圧できなかったのは、京都市内に於いて、600Vの京都市電と平面交差があったためです。(昭和40年代半ばまで、大阪市電との平面交差も存在しました。)
 現在、七条駅〜三条駅(†2)は、地下化されていますが、地下化は昭和62年(1987年)5月のことで、それまでは地上を走っていました(†3)。そして、以下の場所で、京阪本線と平面交差していました。

京都市電と京阪本線の平面交差(†4
京都市電 京阪本線 廃止年
四条線 四条駅(現:祇園四条駅) 昭和47年
七条線 七条駅 昭和53年
稲荷線 深草駅−伏見稲荷駅 昭和45年

 市電の廃止以前より、京阪は、京都中心部の地下化を計画し、市電との平面交差を解消して、昇圧する計画があったようです。ただし、実際には、京都市の都市計画との兼ね合いから、地下化は大幅に遅れてしまいました。 結局、地下化の着工(昭和54年:1979年)よりも、京都市電の全廃(昭和53年)の方が先になり、地下化を待たずして、昇圧が可能となりました。 なお、大津線の方は、京阪線昇圧後もしばらく600Vで残り、京都市営地下鉄との乗り入れを開始した平成9年10月に、昇圧しました。(†5


†1 : 当時。 なお、鴨東線開業は、平成元年(1989年)。中之島線開業は、平成20年。また、厳密には鋼索線も京阪線に含まれるが、ここで含めても無意味なため、意図的に省略。
†2 : 三条駅〜出町柳駅は、鴨東線。(†1)参照
†3 : 現在は、「川端通」として、道路転用されている。
†4 : これ以外にも、市電東山線と京阪京津線の平面交差が東山三条にあった。また、市電九条線と京阪東福寺駅付近に立体交差があった。
†5 : 同時に、京津三条駅〜御陵駅が廃止。




京阪電気鉄道のホームページへ行く

京阪電車中之島線のページへ行く(「新しい車両」の中の「新カラーデザイン」に新塗色の説明があります。)



「元特急1900系サヨナラ運転と、現特急車「エレガント・サルーン」」へ移動する

「「コンフォート・サルーン」3000系と、中之島駅」に移動する


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参考文献:
ウィキペディア
鉄道ピクトリアル8月臨時増刊号