京阪 元特急1900系サヨナラ運転と、
現特急車「エレガント・サルーン」 (平成20年12月20日ほか撮影) (平成21年8月21日掲載)
45年(一部車両は50年以上(*1))に渡り、京阪電鉄を走り続けた、元特急車1900系が、平成20年のサヨナラ運転をもって、引退しました。 ここでは、その1900系と、現在の特急車両をレポートします。 (撮影日: 無印・・・平成20年12月20日, ☆・・・平成21年1月3日, ※・・・その他) |
1900系サヨナラ運転 | |
八幡市駅、京都側の踏切付近より。 何本も列車を待った後、まずは、1900系一般色が入ってきました。 |
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懐かしの「比良」号のヘッドマークを特別に付けての走行でした。 ちなみに、1900系は、前面の飾りバンパーが特徴です。 現在は、バンパーを割り込むように、標識灯・尾灯が配置されていますが、冷房改造前は、標識灯・尾灯が別の位置にあり、バンパーは割れていませんでした。 (かつての標識灯・尾灯はこのような感じ:2600系旧タイプ) |
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1両目と2両目の拡大写真。 ちょっとわかりにくいですが、2両目の車両は、窓の下に「ウインドウ・シル」と呼ばれる補強板が付いています。 この車両は、1810系からの編入車両です。 |
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八幡市駅構内で、偶然すれ違った800系特急車両(旧塗色車)と1900系特急色車両。 1900系特急が、少々遅れていたため、このようなことが起こりました。 ただ、1900系の遅れがちょっと少なかったら、この8000系に遮られてしまうところでした・・・。 |
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こちらは、懐かしの「びわこ」号のヘッドマークを特別に付けての走行でした。 また、かつての姿をできるだけ再現すべく、貫通幌や、車掌室側の2段窓などを模したデザインになっていました。 |
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偶然撮れた、 サヨナラ運転終了後の回送列車です。 (木津川橋梁付近) |
淀車庫に留置されていた、 1900系一般色の車両。 (車窓より) |
(※2006年8月20日:京橋駅) 1900系50周年のヘッドマークを付けて、走っていました。 (厳密には、この車両ではなく、編成中間にある、1810系からの編入車が50周年です) |
1900系は、昭和37年(1962年)に、特急用として登場した車両です(*2)。 また、昭和31年(1956年)に登場した1810系も、若干の改造の上、ほぼ全てが1900系に編入されました。 また、京阪電鉄として、本格的に空気バネ台車を使用した系列であり(1810系は、一部の車両が非空気バネ台車で登場し、その後、1900系が登場する以前に、ほとんどが空気バネ台車に交換)、京阪特急の乗り心地改善に貢献しました。(*3) その後、3000系(当時:現8000系30番台)が昭和46年(1971年)に登場し、順次置き換えられていったため、昭和48年(1973年)をもって、定期特急列車から退き、その際にテレビ(*4)の撤去、一般色への変更、3扉化が行われましたが、その後も、6000系の登場(*5)まで、正月などの特急増発時には、臨時特急に使用されていました(*6)。 臨時特急に使用される以外は、主に普通列車や支線で使用されていたようです。(*7) その後、1500Vへの昇圧改造、その後さらに冷房改造と車体強化が行われ、延命化が図られましたが、維持コストが大きくなってきたため、中之島線開業の前日で営業運転を終え、平成20年12月20日のサヨナラ運転をもって、引退しました。 |
8000系は、平成元年(1989年)に登場した特急車両です。当初は鴨東線開業(†1)に伴う特急車両不足を補うための、1編成のみの登場(†2)しました。 そして、その8000系が非常に好評であったために、従来特急車3000系(旧)を、全て置き換えることとなり、順次、増備されていきました(†3)。 なお、登場当時は2階建て車両は連結されていませんでしたが、3000系(旧)に組み込まれた2階建て車両が好評だったため、平成9年より8000系にも連結されることとなりました(†4)。 しかし、初登場から20年を経過し、平成20年に登場した快速急行用の3000系(現在)より、見劣りするようになったことから、上記のような塗色変更および内装の高級化が、順次行われています。 ただ、今後のリニューアルに関し、平成23年度までに順次、テレビの全廃が決定しました(†5)。 8000系30番台は、2008年6月まで3000系を名乗っていました。 その3000系は、昭和46年(1971年)に登場しました。当初は、特急増発(20分→15分間隔)のため、不足する特急車両を補充する形で登場しました。当初は、従来特急車1900系と併用で使用される予定でしたが、その当時、1900系は非冷房であり、冷房付きで登場した本系列は、大いに好評であったため、特急車を3000系で統一することとなりました。 ただ、乗り心地は1900系の方が良かったと言われています(†11)。 なお、3000系登場当初は、架線電圧が600Vでしたが、すでに1500V昇圧が計画されていたため、それを踏まえた設計となっていました。それにより、1983年12月の昇圧を問題なく迎え、8000系の登場まで京阪電鉄の主役でした。 8000系登場後、前述の通り、全てが廃車される予定(†3)でしたが、検査態勢の見直しなどの影響で、予備車率を引き上げることが必要となったため、1編成が残ることとなりました。 それを受けて2階建て車両の連結が試験的に行われ(†12)、その後、制御装置の更新(†13)、内装の更新を行い、8000系と同等に生まれ変わりました。 そして、中之島線開業時に登場する新車に、「3000系」の名前を譲るため、8000系に編入され、30番台を名乗ることとなりました。 |
*1 : 1810系からの編入車 *2 : 翌年に、大阪側終点が、天満橋駅から淀屋橋駅に延伸されるため、輸送力増強とサービス向上のために登場した。 *3 : これにより、京阪本線の定期特急列車が、空気バネ台車車両に統一された。 *4 : 京阪特急と言えば、「テレビカー」の連結。昭和29年(1954年)開始であり、1900系特急には登場当時から「テレビカー」が存在した。 *5 : 昭和58年(1983年)に登場。 なお、この年の12月に京阪電鉄本線系の架線電圧が1500Vに昇圧した。(それまでは600V) *6 : 当時の他の一般車よりはもちろん、実は3000系(当時:現8000系30番台)よりも、乗り心地が良かった(†11)。 また、走行特性も、当然ながら、他の一般車より特急向きであった。 ただし、臨時であり、テレビの搭載は、当然ながら無い。 *7 : 一般車に格下げの後に、5両編成になったため。 |
†1 : 平成元年(1989年)10月開業。事実上の三条−出町柳延伸。 †2 : そのほかに、従来特急車(当時の3000系)の一部に残っていた6両編成を、7両編成に統一するための中間車が、8000系で登場した。 †3 : 従来特急車3000系(当時)が、順次廃車されていったが、まだ使える電動機などは8000系に再利用されている。 また、一部の車体は、富山地方鉄道や、大井川鉄道に譲渡された。 †4 : これにより、8両編成となった。なお、旧3000系とは違い、新造車である。また、旧3000系と違い、裾絞りがないため、1階室の座席も2+2列である。(→†12) †5 : ワンセグ放送受信可能な携帯電話の普及により、「役目を終えた」という。 †11 : 台車構造の違いによる。ただし、この乗り心地の後退は、意図したことでは無かったようである。 †12 : 従来車両を切断して2階建て部分を溶接するという、前代未聞の改造工事が行われた。なお、旧3000系は、車体がわずかに裾絞りの形になっているため、それを延長する形で1階室は幅が狭く、座席が2+1列となっている。(→†4) †13 : 手元に資料は無いが、「1900系よりも乗り心地の悪かった台車」も、この際交換されたのではないかと考えられる。 |
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参考文献:ウィキペディア